富岡八幡宮です。

HPによりますと以下のような由緒とのことです。
富岡八幡宮は寛永4年(1627年)、当時永代島と呼ばれていた現在地に御神託により創建されました。周辺の砂州一帯を埋め立て、社地と氏子の居住地を開き、総じて六万五百八坪の社有地を得たのです。世に「深川の八幡様」と親しまれ、今も昔も変わらぬ信仰を集める「江戸最大の八幡様」です。

 江戸時代には、源氏の氏神である八幡大神を殊の外尊崇した徳川将軍家の手厚い保護を受け、明治維新に際しては朝廷が当宮を准勅祭社に御治定になり、勅使を遣わされ幣帛を賜り、新しい御代の弥栄を祈念されました。
←: 最初の鳥居の所には,伊能忠敬の像がありました。「翁は深川黒江町(現・門前仲町1丁目)に住み、測量旅行出発にあたっては必ず当宮を参拝していたことから縁りの地であるこの八幡宮に銅像が建てられました」とのことです。なるほど!
五月晴れの空の下に,お社が清々しくたたずんでます。
猫も居ました。

朝,通勤の人たちも何人か,ご祈願してから,通勤路へと戻られていました。
広い境内でした。そして,表参道大鳥居をくぐってすぐ右手には、,歴代大関を顕彰するために建立された 「大関力士碑」がありました。四股名も彫ってあるそうです。
相撲に縁があるってのも,東京駅から・・下町っていうか,少し離れてきてるなぁって 感じです。
五月となって,緑が目に優しい季節でした。
この前の日は,低気圧が日本列島を通り過ぎて,東京も一瞬,豪雨だったのですが,この朝は,その名残の突風はあっても,青い空に,緑の葉が気持ち良い感じです。
勿論,横綱碑もあります。
HPによりますと・・・・「当宮は江戸勧進相撲発祥の地として有名です。江戸時代の相撲興業は京・大阪からはじまりますが、 トラブルが多くしばしば禁令が出ていました。その後禁令が緩み、貞享元年(1684)幕府より春と秋の2場所の勧進相撲が許されます。その地こそが当宮の境内だったのです。以降約100年間にわたって本場所が境内にておこなわれ、その間に定期興行制や番付制が確立されました。そののち本場所は、本所回向院に移っていきますが、その基礎は当宮において築かれ、現在の大相撲へと繋がっていくことになります。詳細は小島貞二著『江戸勧進相撲と富岡八幡宮』 (富岡八幡宮社務所)の一読をお薦めします。」とのことです。
境内には17社の末社があるそうで・・いくつかの写真です。
末社の辺りには,小ぶりの池もあるのですが,朝の陽光と新緑とで,佇まいは最高でした。気持ちが穏やかになります。
「八幡宮が創祀される以前から祀られる地主神。関東大震災・東京大空襲の災難もくぐりぬけ、このときに弁天池に避難した人は 一命を取りとめたといいます。」とのことです。
鯉も居ます。結構,よく育っておりました。
馬神も鎮座ましまして・・・・。鎮守の森の木陰が涼しげです。
お宮を後に・・・もう少し東へ・・・


木場公園を目指しました。